徒然松山記

或る松山ケンイチファンの日記

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COOLTRANSRollingStoneSPURspoon.

COOLでTRANSなケンイチさんがやばすぎた。
プロフィール画像変えたわ!!!

それからRollingStoneが今までの雑誌をぶっちぎってしまったかもしれない。
買ってからだいぶ時間は経過してるのにRollingStone熱が全く下がらない。
超好き。
ヤバい。
ヤバすぎる。
好きすぎる。
好き過ぎて。
たまに眺めたまま眠ってしまうので危険。
危機管理でついに2冊目を買った。←

SPURも開いた瞬間ドキドキしてしまったし
spoon.の写真もインタビューも良かった。

もう7月の雑誌は豊作さんで
どうせ迷ったって、買わなかったらあとで後悔するから全部買ってる。

で、上記4冊に共通してるのが
写真もインタビュー(記事)も良いということ。
どっちも良いってなかなかないのに
invitationから始まって
良すぎるのが多くて全く追いつかない書くのが〓■●

あああああ、松山ケンイチ好き過ぎる。
雑誌さんたちありがとう。
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L change the WorLd 本音

主題は異なれど
ひとつ前の記事
“青く、熱く、美しい男”の続編。


松山ケンイチについて考察し、さらに思うのは
悩み、考え、葛藤する
そういう人だからこそ
『L change the WorLd』のLを
魅力的なLとして演じられたのではないか
ということ。

松山ケンイチが
ただかっこいいだけだったら
ただLを演じた役者というだけだったら
私は果たしてここまで松山ケンイチを好きになっていただろうか。

真希ちゃんを抱きしめることひとつとっても
ただ脚本や監督に提示されたからと抱きしめるのではなく
果たしてその行為をLはするだろうかと悩み考え
一周まわってから
「やっぱり抱きしめると思う」
と思い至るのでは
大きな差があるのだ。
チーム・デスの中ではすっかり笑い話になっているようだけど
その1周があったからこそ、
あの映画の中で
ちゃんと L として存在していられたのだ。
薄っぺらなLでなく、生きたLとして。

私は『L change the WorLd』の最初の脚本が
どんなものだったかは知らないし
知る由もない。
けれど
「え?これがLなの?」
と松山ケンイチに言わしめ、松山ケンイチの顔を曇らせたLを
「これはLだ」
と私達に思わせ、涙まで流させるLにしたのは
やっぱり松山ケンイチの葛藤があってこそなんだと思う。

原作のLファンである自分にとって
Lは凄く大切で
Lならなんでもいいってわけではないのだ。
Mさんの小説版のLは
Lという名前ではあるが
Lとは全くの別人だった。
あれがLだとはどうしても思えなかった。
あれは一体誰だったのだろうか。

『L change the WorLd』
こんなにもひとつの作品のことを考えたことは過去ないと思う。
『L change the WorLd』
松山ケンイチがLを演じる過程を知るたびに
松山ケンイチのLじゃなかったら
LがLじゃなかったら
この映画は成功どころか
成立すらしていなかったのではないかと思う。
映画の詳細はともかく
松山ケンイチのLは
何も言う事がないくらい完璧だった。

と言いたいところだが
私は猫背だけはやりすぎじゃないかと思っていた。
原作でも猫背はあんなにひどくないし
もちろん前2作でもあんなに曲がってはいなかった。
LcWのLを見るたびに
これじゃあ猫背というよりも
腰が曲がったおじいちゃんみたいだと思っていた。
だから屋上の背筋伸ばしも
最後のワイミーズのシーンも
そこまで曲げない方がいいのに、と思っていた。
シリーズ化された作品では
際立った個性の人物表現が過剰になってしまうことがあるから
私は松ケンがそこに陥ってしまったのだと思った。
そこが唯一残念なところだと思っていた。

しかしそうではなかった。
ゴールデンウィークにネットの海をひたすら漂っていた時に
関西の番組のインタビューを発見した。
そこで松ケンが
「今回は猫背の角度も相〜当〜なんか
 攻めてきたんですよね 監督が
 これ、人として大丈夫なんだろうかな?っていうところまで」
と言っていたのを聞いて
急に目の前の霧が晴れたような気持ちになった。
そうか。
監督の指示だったのか。
なんか知らんがホッとした。
結果としてはあの角度になったけど
松ケンはLのことわかってたんだな〜と思った。

最後の笑顔に向かうLをどう表現するか。
脚本段階から話し合いに加わっていたという松ケンが
どこをどう考え
脚本にどこまでの影響を与えて
何が変わったのかはわからないけれど
どこまでがLで
どこまでやってしまったらLでなくなるのか。
それを考え抜いたからこそ
松山ケンイチは L の空気を纏っていたのではないか。
Lらしくないセリフを言ったとしても。

そしてその一見Lらしくないセリフが
原作ファンでもある私達をも感動させたのは
松山ケンイチが通り一遍に演じたのではなく
悩み考え抜いた末にそこにたどり着いたから。
だからこそ、力を持った言葉になったのに違いないと思う。

友人に言われた衝撃的な一言。
「トモさんはあの映画をかばっていると思った」
かばっているつもりはなかった。
確かにツッコミどころは満載だけど
最初に見たとき、本当に良かったと思ったし
Lの伝えたかったことに胸を打たれたのも事実だったから。
あの時感じた気持ちは、間違いなく本物だ。

別の友人に言われた真逆で衝撃的な言葉。
「トモさんのブログを読んでいて
トモさんはあの映画に文句なしで
全部大好きなんだと思ってた」と。
そうではない。
そう思われてることにびっくりした。
確かに否定的なことは書いてこなかった。
けれど、ありえないと思ったことはいっぱいある。
やめてほしいと思うところだってあった。

でも!
あのLの変化が
Lの気持ちが私達に涙を流させた。
それがなかったらあの映画は成立しない。
描きこみが足りないブルーシップも駿河も
中途半端に割れるガラスも
時間経過の無駄や矛盾も
全て超越させたのは L が L として存在していたから。
そして、
この世に存在することをもう望めないLの伝えたかったことが
強く心に残ったから。
そう私は思っている。

松山ケンイチが
悩み、考え、葛藤した末に生み出したLは
そのくらいにとんでもなく強い輝きを放っていた。
そしてその輝きが『L change the WorLd』の全てを支えていた。



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青く、熱く、美しい男

役が“憑依”したかのような彼の演技を見るたびに、
俳優になるべくしてなった人だなと思う。
だが、その裏側で彼は、苦悩し、葛藤している。
そういう姿もまた、松山ケンイチの美しさだ。

―invitation No.65  美しい男 松山ケンイチ



少し前の話になるけれど
invitationが凄く良かった。
松山ケンイチは俳優になるべくしてなった人だと私も思う。
けれど、松ケンが
カメレオン俳優、とか
憑依型
と呼ばれることに
すごく抵抗があった。
映画ごと、役ごとに異なる人間を演じ切る松山ケンイチに
そういう代名詞がつくのは当然のことなのかもしれない。
でも、その代名詞が、あまりに安易に使われることで
その役を、その感情を
いとも簡単に松ケンが手に入れてしまえるかの様な気にさせて
好きではなかった。
彼が役を演じる上で
いかにその人物について深く考える人であるか
私達は知っている。

だから
苦悩と葛藤の上に成り立っている松山ケンイチであり
それが彼の美しさなのだというこの文章が
とても好き。

松山ケンイチに
天が与えた才能があるのだとすれば、それは
役を一人の人間として捉えることができるということであり
その人間について深く考察できることであり
悩めるということである。
だからこそ
カメレオンのようにも
憑依したようにもなれるのだ、と
私は思う。

中田新一監督が先日のポレポレのトークショーで
悩むところが松山ケンイチのいいところであると発言していた。
更にGyaoMagazine2007.4月号で
萩生田監督がこうも言っている。

「(撮影中は)恐れずに悩む人ですね。
 だけど考えて考えて考え抜いた末、
 ポンと全部忘れて真っ白になって演技する。
 メイク室なんかでずっと考えてるわりに、
 演技する時は潔い。
 “考えることは損なことじゃない”って
 彼自身が分かってるんじゃないかな。
 考えて、計算して演技するというよりは、
 考えたことが演技にどう出るか試しているところもあるかもしれません。
 現場の力を信じているんですよね」

悩める松山ケンイチ
考える松山ケンイチ
そういう姿に惹かれつつも
考えた末にポンと真っ白になるということに強さを感じ、
逞しく、頼もしく思ったから
萩生田監督のこの言葉をよく覚えている。


悩んで悩んで
考えて考えて
そうして手に入れたキラメキを携えて前を向いている。
それこそが
役者、松山ケンイチ
人間、松山ケンイチの魅力なのではないだろうか。





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